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コラム:大麻取締法は、GHQから日本産大麻を守る法律だった-その歴史的経緯(後編)-

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大麻博物館

農作物としての大麻は、戦後GHQの占領政策により、1948年7月10日に大麻取締法が制定され、栽培免許制がスタートしました。農水省の大麻の担当部署(特産課)は、この前後の経緯を「特産課特産会二十五年誌(1963年発行)」に残しています。貴重な歴史的資料なので、全文を公開することで、少しでもこの法律制定の経緯を知って頂ければと思います。

前編まではこちら

コラム:大麻取締法は、GHQから日本産大麻を保護する法律だった-その歴史的経緯(前編)-

目次

大麻取締法の制定(続き)

タイマ栽培許可の行われた昭和22年は、全国の許可面積5000ヘクタール、許可県12県であった。その面積は、依然5000ヘクタールであったが、許可県の数は増やされた。その経緯は次の通りである。

昭和23年(1948年) 許可県数18県
青森、岩手、福島、栃木、新潟、長野、島根、広島、熊本、大分、宮崎
◎石川、◎福井、◎山梨、◎兵庫、◎岡山、◎佐賀(6県追加◎)

昭和24年(1949年) 許可県 23県
前記18県のほか 富山、静岡、滋賀、岐阜、鳥取の5県追加

昭和25年(1950年) 24年と同じ23県

昭和26年(1951年) 静岡を取消し 22県

昭和27年(1952年) 許可県 24県
前年22県のほか宮城、福岡の2県を追加

昭和28年(1953年) 許可県33県
講和条約の締結により面積制度に関する覚書失効
栽培希望県は全面的に許可

 

昭和25年11月、連合国軍総司令部麻薬統制課長W・L・スペヤー氏から厚生省に対し、取締り強化のため、許可県でも一部地域での栽培は、禁止するよう指示があり、下記の地域は、許可県でも栽培を許可しないこととなった。

県庁所在地である都市周辺から1km以内の地域
鉄道幹線(原則として日本国有鉄道幹線)を中心に幅1km以内の地域
国道および県庁所在地を結ぶ主要道路を中心に幅1km以内の地域

講和条約締結後のタイマ栽培

昭和28年3月には、大麻取締を緩和するとともに、取締に関する事務を、都道府県知事に委任することなどを目的として「大麻取締法」の改正(注)が行われた。

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以上の経緯で、戦後昭和22年から28年までは、厚生、農林両大臣により、タイマの栽培区域および栽培面積の指定が、行われてきたが、29年以降は、都道府県知事の免許を受ければ、いずれの値でもタイマ栽培ができるようになった

注:大麻取締法制定後の改正などの経緯は次のとおりである。
昭和23年7月10日 法律第124号
改正昭和25年3月27日 法律第18号
改正昭和27年5月28日 法律第152号
改正昭和28年3月17日 法律第15号

 

タイマの取締は、昭和28年以降かなり大幅に緩和されたが、軍需の喪失やロープ用、下駄芯縄などの需要の減退により大麻栽培は、次第に衰退し、昭和37年(1962年)には作付面積わずかに1900ヘクタールにすぎない状態となった。

タイマの試験研究

タイマの試験研究は、主産地の栃木県において、戦後も引続き行われた。終戦直後は、農林省宇都宮農事改良実験所南押原試験地と呼称していたが、その後、栃木県に移管され、栃木県農業試験場南押原試験地として指定試験によるタイマの研究が行われてきた。しかし、この長い歴史を有するタイマの指定試験も、昭和32年ついに廃止された。この間「栃試1号」「南押原1号」などの品種育成が行なわれた。

 

また、日本産タイマについては、かつて、麻薬成分の検定など、まったく行われたことがないので、タイマの植物部位別(茎葉、雄雌花、種子)、栽培地域別、品種別等の麻薬成分の定性および定量的検定、薬理検定を行うこととし、農林漁業技術試験費補助金により試験を行った。委託先は、初年度、資源科学研究所(所長 朝比奈泰彦博士)、2〜3年目は、財団法人薬理研究会研究所(北区西ヶ原33 所長朝比奈泰彦博士)で、昭和27年から29年までの3か年間にわたり、厚生省麻薬課、東京大学医学部薬学科などの協力を得て実施した。

 

その実験の結果は、日本産タイマにも毒性(麻薬成分)があることが明らかとなった。しかしその後さらに深い研究が、行われることなく打ち切られた。

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日本人の衣食住を支えてきた「農作物としての大麻」に関する私設の小さな博物館です。2001年、栃木那須に開館。水・木定休。著作に「大麻という農作物」「麻の葉模様」。日本民俗学会員。

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